🌏アート合宿 view by suto
Uの谷をくぐり、地上に還ってきた。みんなも想像していなかったことが起きたと言っていたけれど、それはわたしもなんだよ。
わたしにとっての、白井秀実という存在
2022年10月だかその頃。わたしはひでみんと、日比谷公園で一緒にハンバーガーをテイクアウトして食べていた。起業というキーワードが浮かんできたのだ、という話を私からした。ちきゅうに生まれてきたうちゅうじんたちが、うちゅうじんとしてのリソースを思いきり生かしていけるような世界にしたいという話。そして、アートを通じてその表現もしてみたいという話。
ひでみんは「ひでみ、すとちゃんと一緒にやってみたいなあ」と言ってくれた。そこから楽しくなってきて、12月か1月にアート合宿をやってみよう、金額はこのくらいに出来たらわたしたちのいのちも喜ぶよね、など話はすぐに進んだ。
それまでわたしは、アートはじぶん自身に向き合うための祈りであり、修行のようなものであり、精神と時の部屋のようなもので。さらに、誰かと一緒に場をひらくことはいつまでも宇宙タイミングが来なかった。
わたしは、ひでみんと一緒に場を創りたくなった。わたしからも、一緒に二人でなにかやってみたい、と伝えたような気がする。
彼女はわたしと似ているところがありながら、全く違う形で世界からシグナルを受け取ったり、表現したりするなあと思う。それは、個性という点で対局にある獅子座、水瓶座コンビだからかもしれない。私の対角線にいるひでみんは、いつも驚くような気付きと、愛、そして癒やしを渡してくれる。出会えて、仲良くなれて、本当によかった素敵な存在だ。
この合宿どんなインナージャーニーだったの?
自分の愛の形を思い出した
想像よりも大きいキャパシティを許し、大きなキャンバスから
メインディッシュを最初に
誰かと何かを形にする、誰かたちをお迎えする
こんなことが起きた。過去に参加したアート合宿のオーガナイザーの1人であった岡田ゆり氏は「オーガナイザーが一番トランジションするよね」といった類のことを言っていた。ような気がする。
このタイミングで、このメンバーと合宿をしたこと。細かなこと含めて、あらゆることに意味があったんだろうと思う。詳細は、語りたくなったときにまた、別の記事でまとめたいとおもう。
写真から振り返る
年末にオンラインで発注した世界堂。合宿当日になっても発送通知来ず。この不安がすごかった。念の為にと思い、新宿本店で木枠に張っていない画布いくつか、クレヨン、100枚ドローイングのための用紙、スケッチブックは揃えて自ら持ち込んだ。
いつもの場所。ただいま、というきもち。確かにあったがことばでは表現できなかった、わたしの世界が具象化された場所。最初から親切だったけれど、お宿の店主が益々優しくて。最初からブルーシートが敷かれて、テーブルも並んで。もう、Readyな状態だった。
今年も、大楠にご挨拶。
今回はオーガナイザー含めて5人が参加。このガレットだけ、五角形だった。実はその後も、旅館で五角形のこたつがあったりと、何度もメッセージがあった。
🌏魂の旅路
わたしの魂。旅立つ前。いってらっしゃい。
旅路を経て戻ってきた魂。どんな嵐をくぐり抜けてきたのかしらと。それでも、大丈夫。いのちは強いんだよ。そんなことを受け取った。
🪐キャンバスで遊び始めるが
隣ではまーさんが、クレヨン握りしめて1枚1枚の紙に魂を込めている。わたしは描きたいものはないけれど、持ってきていた3枚のキャンバスで色々遊んでみようかしらと同じ絵の具で描いた。好きな感じだけれど、なんだかつまらないな。
その後、きのぴーが100枚ドローイングを描き終えていた。これらを並べて、じっと眺める。何を受け取るか、何を伝えたがっているか。丁寧に触れていく。きのぴーは、世界と地球の狭間から景色を眺めるヒトだった。ヒトのような姿をした絵もあったが、ヒトがヒトを見ているような描き方ではない気がして。不思議なセンサーを持っているヒトだな、と感じた。
🍵劇薬喫茶、という謎のお店
2日目のお昼は、参加者のみどりちゃんとランチを兼ねて対話。フラットに、起きるお誘いを歓迎した。描きたいと思っているものが描けないもどかしさ、のようなものを聴いた。表現されたがっているものを、とても、ときに過敏さも発露しながら大事にしたがっているような。そんな気がした。このお店は1年前にできたのだそう。ムスコ、ムスメ夫婦がデザイナーで、荒れていた別荘を改装してくれたのだそう。相当センスの良いデザイナーだろう。またひとつ、熱海に帰る理由ができてしまった。
💫世界堂オンライン発注分も急に発送連絡があり、届く
すべてが、タイミングを調整して起きたことだった。1日目の夜、世界堂から発送通知が。おそらく、翌日2日目の昼頃には来るのだろうと、そう確信した。すべてが起きるべきタイミングに起きる。2日目に来たのも、色んな意味がある。それだけは間違いないと言える。
🌊50号の画布に着手
パワーの発露を、ゆるした。いつだって身体がありあまるエネルギーを発揮したがっている。
わたしが着ていたカーディガンに、まるでそっくりだった。
さらに暴れて。
ただ、祈った。願った。わたしがわたしであることをゆるしたかった。その途中で、もとよりあった愛の姿を思い出した。
愛を思い出し、受け入れたことで新たな色をお迎えすることができた。
やさしく、包み込み、守るように。
愛を思い出し、中央に赤をおまねきすることができた。
🌏その過程で、多くの絵がともに生まれた
右側の赤、ピンクの絵は、取り戻した愛を写影したものだ。
またひとつ、大きな旅をして、思い出してきたね。