どうも、こんばんは!
おしながき
雑記:分かち合うために、聖域を整える
雑記:分かち合う、農
募集:生き方のセンスがアップデートする『ヒプノセラピスト養成講座』
募集:6/1限定 対面セッション@京都
おわりに
雑記:分かち合うために、聖域を整える
わたしのよろこびのひとつに「分かち合い」がある。
感じたことをそのまま、感じたタイミングで表現する。それによってさらに誰かの気付きやインスピレーションが刺激されたり、何かしらわたしにも返ってくる。循環する。ひとりでは得られない気づきや変化がある。
分かち合いにおいて、実はものすごく大切だったのは聖域の確保だった。
表現を止めている(と自分で歯感じていた)時期のおかげで気付いた。
わたしにとって表現は、ずっと流れ続けてくるインスピレーションと直結しているもの。エネルギーの循環のコアな要素のひとつ。
それが止まることは、すべてのエネルギーが滞っていくような感じでした。
理学療法士であり、3次元の物理身体と5次元以上の情報身体(エネルギー、オーラーとも言われる)からからだの状態やメッセージを捉えることのできる友人から聞いたのが、「毛細血管の流れの状態で、そのひとの人生の流れそのものが分かる」ということ。
わたしの場合は、流れてはいるもののさらに自分を生きることができる、みたいな状態だった。分かるようでピンとこない、へーって感じだったけれど、それから数日後、じぶんの表現フィールドを整える流れになり、体感として久々にリアルタイムで表現することを再開した。
この三次元は相対的だ。寒さを知って、暑さを知覚する。表現を止めている時期を経験して、表現を再開したとき、わたしはひとつひとつの発信に、たしかにエネルギーを注いでいたのだと分かった。
エネルギーを注いでいるとも表現さすれば、逆にまっさらとも言える。表現の責任を引き受けているとはいえる。
その表現を、安心してくつろいで、思う存分に発揮していくには、そうでいられる環境、つまりは聖域を整えておく必要があることが分かった。
これまで何度もSNSのアカウントを消しては新しくしてみたり、同じ媒体ではなくいろんな媒体に散文として書き散らす癖があったけれど、それも聖域を整えることで変わるのかもしれない。
聖域を整えて、わたしの楽園を広げて、安心して世界観を表現していこうとおもう。
わたしの世界観を知ったり、触れたり、ともに楽園であそんだりする間口は、いっそう狭めていきます。だって聖域なのですから。
分かち合う、農
わたしの実家は米農家。小さい頃からの農業のイメージは「つらくて苦しい」「大変」「儲からない」「不安定」。
いま思えば、これは農業に携わる両親の表情や発言からの、解釈でした。
もっといえば、農業に対する直接的なイメージだったのではなく、他の変数も掛け算されていたのでしょう。
そんな印象もあり、毎月安定した収入が得られる会社勤めを母から奨励されたこともあり、わたしのなかで農業は「絶対にやりたくない」「継がない」ものになっていった。
そのジャッジは、前提に「農業をやる」「継ぐ」という選択肢が存在していてこそだった。いまになって分かることです。
いまでも、農業はやりたいと思わないし、思わずやってしまうようなものではない。汚れるし、この時期は蚊に刺されて痒い。
なんだけれども、どうもわたしの日常に、農業が入り始めている。それはわたしにとって新しい農のイメージとなる「分かち合う農」。
ひとつ、仲間の縁から福島県の会津若松にある「無の会」に遊びに行った。無の会は自然農法をベースに、0次化プランと呼ばれるビジネスモデルで運営している。会津若松を有機農業の聖地となることを目指し、有機米やその他有機栽培をコミュニティとして担っている。
https://hyakusyoikki.com/zen-bu_project/
ふたつ、いま住まう小田原の仲間がゼロから畑を始めた。彼らは元々東京のベンチャー企業で働き、コーチとしても活動し、いまや立派な兼業農家。
それぞれ毛色が異なるフィールドで、やりたいとも好きとも思っていない農業にジョインをした。どちらもこの1週間のこと。
そこで受け取った気づき、知覚がたくさんある。期待がないからこそ、何を受け取るかは360度制限なく自由になだれてくる。
まず、興味がなくともわたしの潜在意識は知っていたということ。草がポツポツ生えた草はクワで掘り起こしておけば、すぐに枯れる。田植え機がどうしてまっすぐ進んでいけるのか、とか。わたしのなかでは当たり前に知っていることが、万人にとっての当たり前ではなかったことを知った。
つぎに、農業においてひとりでも誰かがそこにいることは、希望であり喜びであること。何ができるかよりも、ただそこに誰かがいてくれるだけで、農作業をするときの気持ちが変わる。そこでわたしは「いるだけでわたしは素晴らしい」というメッセージを知覚した。
わたしの父が農作業において、特になにもしなくても人がたくさんいることを望んでいる意味や理由がまったく理解できていなかったけど、なるほどそういうことだったのか。
それから、農業は目の前に夢中になれることであり、はじめからそこに豊かさが満ち溢れていることを教えてくれた。
なんかそんなことをたんまり受け取って、わたしのなかでの農業というイメージが静かに着実にアップデートされているように感じている。
それは言語化するなら「孤独な農」から「分かち合う農」。
募集:6/2-3,14-15『ヒプノセラピスト養成講座』
生き方のセンスがアップデートする講座です。わたしの世界観に、現時点で最もディープに触れられる場であり、今後の人生をともに生きる仲間と出会う場でもあります。
募集は5/27(火)で締め切ります。
https://forms.gle/W6repqpgn6x5sRcE8
https://chikyuyuei-from.space/hypnotherapy/
募集:6/1限定 対面セッション@京都
対面セッションの受付をしています。こちらも5/27(火)に受付終了です。
6/1(日)14〜16時のあいだ:コーチングセッション(1時間)
6/1(日)17〜19時:ヒプノセラピーセッション(2時間)
https://chikyuyuei-from.space/session/
おわりに
未曾有のなかを生きています。毎日が夏休み、毎日がまっさらなキャンバス。
どうありたいかを日々問い、じぶんの楽園や聖域とはどんなものであるか、
わたしはどうあることを望むか、受け取っていく繰り返し。
ほとんどのことを手放し、まっさらなわたしが、自然物としてどう育つのか。
こわさそのままに、体験しながら観測していきます。
それでは、またお会いしましょう!