#84 インスピレーションとダンスする
最近はInstagram、threadsをメモ帳代わりにアプトプット使いしています
みなさん、こんにちは!
Topix
はじめに
雑記:唯一無二の天才性
雑記:終わりという制限、それから自由
お知らせ:6/30まで受付 1dayワークショップ
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はじめに
夏至1週間前頃から多動や過集中になり、私のなかにミニオンズを飼っているような感じだった。余白、スペースは少ない。
その後、夏至当日から翌日には地に足がついてきた感じ。
何もしないをして、動かないをする自分を許容し、タイミングを待つ。そちらがスタンダードというか、コンフォートゾーンの在り方になっているんだなと気づく。
雑記:唯一無二の天才性
本人、まったくもって、やっている感がない。無意識で、特別感がなく、あまりに自然なことで、見慣れすぎて、見逃してすらいること。
やっている感がなさすぎることによって、「わたしは違う」「わたしにはない」「わたしはできてない」「わたしとは◯◯な人間だ」と、まるで対極のセルフイメージになっていることがある。
なんなら、8割以上が勘違いセルフイメージの可能性あり。
わたしの場合なら、なにも特にしてないぜ!動けないぜ!と頑なに思い込んで気を病むプレイをしていたが、key dotsをちゃんと掴み取りに行っていたことに気づき、一瞬で元気になった。とか。
現実はなにも変わっていないけれど、解釈や捉え方次第で、こうも纏うバイブスはシフトする。それに自力で気付こうとするのは、無理だ。これは、珍しく断言しちゃう。
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唯一無二な天才性とは、つい、もうすでに、どうしたって、出ちゃっている。だから、周囲の方がとてもよく知っている。
じぶんにとって、やっている感があり、はっきりくっきりしている感じがするもの。それはむしろ、わたしとそれが、分離しているもの。
やっている感がある、ということは、意識的なのだ。
やっていることに気付いており、特別視していて、凝視している。
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じぶんは◯◯なひとだ
じぶんの才能は◯◯だ
そういうのはもう、じぶんで気付こうとしなくていいと思った
わたしの強みは◯◯〜〜とか捻らなくていい。自己PRや訴求文句なんて、わたしは呼吸が得意でそれはなぜなら・・・と語るようなものだと、わたしは感じた。
これまで様々な占術で「あなたはこういうひとですよ」と言われても、感動するような新しい気付きはないなーとか、まあ知ってるなーと身に入ってない感じがしていた(すいません)
それはそうだ、すでに当たり前にやっているのだから
やっている感はない
わたしの人生の景色に、いつも前から棲みついている
ただ、くつろげる環境と出会い、コミュニティとつながり、いつでもいつまでもくつろいだわたしでおれば良い
それが最も天才性が遺憾無く発揮されて、他の天才たちと掛け算になっていくのだから
またひとつ、自我力のみで考えても仕方がないと知覚した
雑記:終わりという制限、それから自由
終わり、という概念の解像度が上がった、知覚が拡がり深まった今日この頃。
きっかけは「お金」「身近な人間関係」だったと思う。これらのテーマを通じて、私自身が問題視していた事柄から、ようやっとそのような知覚を得つつある。
自由、解放、制限からの脱却。
そんなことをいつも好み、求めていた自身を振り返る。
自由や解放は、制限あってこそ相対的に知覚ができるもの。ゆえ、制限を知覚させてくれるような事象、人間関係を無意識のうちに見出す。
そして「ほらやっぱり」という接続詞を、満を持して掲げ、私は日々制限がありそこからの自由を求めている、という構文を以て証明しようとするのだ。
制限のおかけで、わたしたちは自由にさせてもらっている。
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ここでふと思う。
何を、どのスケール、単位で制限と捉えるのかにより、自由の感じ方もまた変わるのでは無いかと。
例えば、制限を「お金」「身近な人間関係」と当てはめるならば、この時点で少なくとも2パターンの制限がある。
パターン1: 制限を断念する理由に活用【無に焦点】
「お金がないから→◯◯という制限を私は受けている→そこから自由になりたい(でもムリ)」
「家族が△△だから→◯◯という制限を私は受けている→そこから自由になりたい(でもムリ)」
パターン2: 制限があるからこそ生まれる創造性の発揮【有に焦点】
「お金がないから→◯◯という制限を私は受けている→その制限というゲームルールのなかでどうしたらできそう?工夫余地は?」
「家族が△△だから→◯◯という制限を私は受けている→その制限というゲームルールのなかでどうしたらできそう?工夫余地は?」
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さらに制限を「終わり」に置き換えてみると、あらゆる物事には必ず制限があることを知る。
わたしたちには有限の寿命があり、誰しもがこの世界に人間として生まれた瞬間から、死に向かっているのだ。
はじめから、この地球で生きるゲームの基本ルールに「終わり」が備わっている。そしてその終わりは、いつか必ず訪れ、さらには、それがいつ訪れるのか分からない。
極論、いまこの直後かもしれないし、明日はないかもしれない。
太陽は当たり前に、朝、東から昇ってくると、信じる/信じないの観点すらなく、だってそういうものと信じ込まれている。
けれど、前々から思うのは「はたしてそれも本当か?」ということ。いまでも疑念を抱く。
このゲーム自体が必ず終わる前提で、目の前の全てに対して終わりを意識し始める。そして、終わらせることをしてみると良い。自然と、終わりや有限を意識せざるを得ない。もはやそれは、美だ。
いま手持ちのお金をすべて使い切る、今日全てお金がなくなるかもしれない、という終わりを引き受けたことで、現金以外の豊かさに気付く。
お金をいただくことの感謝と喜びが顕在化し、心が動く。お金を払うことの喜び、楽しく大切な営みになる。すべてのお金の営みが、煌めく。
いつかやりたい、それはいまではない。そう思う機会、会いに行きたい人、行きたい国。
それらが明日も存在していること、機会があること、私がそれを手に入れられること。それは誰から保障されている?確約されているの?絶対など、皆無。
そのこともすべて、丸ごと引き受けたならば、ひとつひとつの行動選択の主体性が増し、いまこの瞬間は輝きだす。
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今朝も思う。
この青空が、風が、波の音が、毎朝いただくハチミツやセレモニアルカカオが、当たり前とも捉えられるものたちが、これで最後かもしれない。今夜、わたしはいのちを終え、肉体脱出するかもしれない。
近しい人間関係のなかで、ムカついたり、憤慨したり、なんなら最悪もうこんな思いしたくない会いたくない。そう思うことだってある。
そんなこと、関係性だって、否が応でも必ず終わる。相手もいつか人間卒業し、わたしもする。
すべてはいつかは終わり、やりたくても二度と出来なくなる。
その前提が日常に染み渡るとき、すべてが有限によってありありと輝きだす。有り難み、尊さ、豊かさ、大切な営みとなる。
その視点に立つとき、当たり前だとしていた日常が、生活が、関わりや出来事が、かけがえのないものとなり、思わず感動で涙してしまう奇跡の連続になっている。
お知らせ:6/30まで受付 1dayワークショップ
Webページはこちら:https://chikyuyuei-from.space/hypnotherapy-subconscious-dialog-hypno/
ヒプノセラピーの要素を取り入れた、新しい形のセッションを体験いただく機会となります。
このセッション、ワークショップは、単なるインナーチャイルドやシャドウの統合に留まりません。それはあくまで始まりのひとつ。
結果的に起こることのひとつとして、内なる男性性と女性性、それぞれの潜在的なセルフイメージが顕現します。
男性性に対するイメージは、その方にとっての豊かさ、お金や稼ぎ方に対する信念に結びついています。女性性に対するイメージは、愛される信念、安心や存在価値に連動します。
またそれぞれ、あなたが引き合うパートナー、すでに引き合っているパートナーとの関係性にそっくりそのまま現れているはずです。
男性性と女性性の無自覚な信念、セルフイメージの知覚から、統合の道のり。
それにより、豊かさや愛の育みのスタイルが様変わりしていきます。
このワークショップは、当面開催を予定しておりません。私にしては珍しい特別な仕立てになっているので、この機会にぜひご参加ください!
▷▷▷ こちらより
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超実践的ヒモ理論〜宇宙時代の生き方〜(コラボラジオ)
Yuragi by Chikyu-yuei(パーソナルラジオ)
↑『#13 予定調和を崩すという調和』というPodcastの前日に録音した音声を、このUtsuroi by Chikyu-yueiのメルマガをいつもご覧くださっている皆さんに限定で公開します。
動画の概要欄に、要点をAIにまとめてもらいました。
*限定音声のため、外部公開はご遠慮ください
それではみなさん、またお会いしましょう!







